なぜ古代天皇は100歳を超えるのか

1 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 05:37:15.20 .net
出雲や北部九州から相次いで硯(すずり)の破片が発見され、
弥生時代にはすでに文字があった可能性が高まってきました。

記紀編纂者たちはおおよその実年を把握し、
2世紀初頭の倭国王師升がスサノオだと分っていたでしょう。

白村江の敗戦ショックが癒えない時代、
ヤマト民族の始祖たるスサノオまでが生口160人を捧げて朝貢していた…

ものすごくみじめです。
自尊心がズタズタです。

彼らは古代日本が中華の属国だったというぶざまな歴史を、
時代を古く古くすることでごまかしました。

また記紀編纂者たちはスサノオから5世代後の神武が卑弥呼の時代になることも分ってたでしょう。

だから記紀において神武東征をやたらクローズアップして、
卑弥呼であるヒメタタライスズ媛の記述をを最小限にとどめました。

そして神武をBC660年という遠い遠い過去に葬り去りました。
神武以降の天皇もそれに合わせました。

これが古代の天皇が100歳を超える日本の歴史の真相です。

2 :1:2016/11/17(木) 05:38:36.92

本文が長くなり過ぎたので

PS

纏向遺跡は「筑紫、吉備、讃岐、播磨の要素(寺沢薫)」ですから、
九州〜瀬戸内勢力をともなってヤマト入りしたニギハヤヒ(物部集団)の遺跡でしょう。
桜井市には物部氏の痕跡が無視できないほど多数存在します。

あんなところに卑弥呼はいません。

邪馬台国とはヒメタタライスズ媛のお住まいになられた奈良県御所市です。

3 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 05:41:55.01

何が言いたいのかよくわからない

4 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 05:56:16.98

>>3

理解できないのは君の問題なんで知らん

5 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 06:03:13.80

弥生時代の硯が発見されたことと、
記紀の編纂者が考えていたであろうことと、
白村江の話と全然関係ない時代の生口の話と、
天皇の年齢が長寿なことと、
卑弥呼の居場所と、

これらに何の関係があるのか、論理的に説明してほしい
私には理解できない

6 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 07:13:40.51

>>5
はい、ちょっと本文を端折りすぎました。

硯の発見で2世紀以降の王統譜はおおよそ伝わっていただろう、
それならスサノオの実年も把握してたであろう、
それが師升であることもわかってただろう、
ならばスサノオから5世代後の神武が卑弥呼の時代であることも分かり、
記紀編纂者たちは卑弥呼が誰かも分っていただろう

という事です。

纏向遺跡の部分は箸墓が卑弥呼の墓で決まりのような風潮があるので、
それは違うだろうという私の個人的意見です。

7 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 07:41:53.83

8 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 12:05:43.30

箸墓の埋葬者が孝霊天皇の皇女でその人物が卑弥呼で
卑弥呼と同時代の天皇が崇神天皇かというとやっぱり
違うのではと思う。孝霊天皇の即位年は「辛未」とされ、
これは崇神天皇が卑弥呼の時代の人物なら191年、
卑弥呼より後の西暦300年頃の人物なら251年
だけど、孝霊は景行天皇の皇后、播磨稲日大郎姫の
祖父とされ(したがって日本武尊はひ孫、仲哀天皇は
玄孫に当たる。播磨稲日大郎姫が景行の曽祖父の従妹
というのは不自然)、日本武尊と年齢が近く景行〜仁徳
の五代に仕えた武内宿禰が孝霊の玄孫であり仁徳天皇の
皇后磐之媛の祖父であることから、孝霊の即位年は仁徳の
時代から逆推測して191年よりも251年に近く、
倭迹迹日百襲姫命も卑弥呼の死後に誕生した可能性が高い
と思うんだよな。

継体天皇が応神天皇から五世代目というのは十分ありえても
神武天皇から応神天皇までは父子継承が順調に続いてるので
はなく同世代の天皇がかなり混在してそうなんだよね。
やはり歴史を古くするためなのか。

9 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 12:34:55.85

>>8
>倭迹迹日百襲姫命も卑弥呼の死後に誕生した可能性が高い
と思うんだよな。

賛成。

>神武天皇から応神天皇までは父子継承が順調に続いてるので
はなく同世代の天皇がかなり混在してそうなんだよね。
やはり歴史を古くするためなのか。

その通り。
実際には崇神から神武まで6世代。
中臣、物部、三上祝、鴨の相関系図で分かる。
明治に中田憲信が「諸系譜」で解明した。

なぜかひっかかるのでリンク貼れない。

中田憲信「諸系譜」で検索してみて。

10 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 12:43:11.17

命≒屋号乃至王朝で襲名説を採って居たが違うって言われた(´・ω・`)

11 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 12:49:12.75

漢字が硯筆より先に出来たって発想からして先ず頭悪いよね

北方の甲骨文字群と南方の象形文字群とが
漢朝辺りから大系として編纂される様になったんで在って
毛筆は既に在ってそのプロセスに於いて木竹簡への記載のし易さから官僚の用いる筆記具の主流になったに過ぎない

12 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 14:54:07.68

原の辻遺跡では楽浪の文物とともに出雲土器が見つかっている。
古代出雲人は積極的に楽浪人に接触し文化を吸収したのだろう。
つまり漢字どころか干支まで知っていた可能性がある。
いやそう考えてもよいはずだ。

13 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 02:06:11.62

>>6
>硯の発見で2世紀以降の王統譜はおおよそ伝わっていただろう、

硯が存在したからといって、なぜ「2世紀以降の王統譜」とやらが存在することになるのか?

>それならスサノオの実年も把握してたであろう、
>それが師升であることもわかってただろう、

師升=スサノオの証明がされていないので、この推測に意味は無い

>ならばスサノオから5世代後の神武が卑弥呼の時代であることも分かり、
>記紀編纂者たちは卑弥呼が誰かも分っていただろう

これも同じ

14 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 02:14:09.90

>>13
では硯で何を書いてたと思うのか?

15 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 03:32:44.53

>>14
実際に書かれた文字が出土していないので不明だが、
もちろん何らかの文書であったと推測できる

しかし弥生時代に筆記がなされていた可能性から、
「2世紀以降の王統譜」が存在していたことを推測するのは
飛躍がありすぎる

16 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 04:53:21.20

>>14
何らかの文書を書けるのなら王統に関して書くだろう。
それがまず一番ではないか。
それ以外にあるというなら、たとえば随筆でも書いてたっていうのか?

23 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 22:42:00.96

>>21
>その質問の答えは >>15 に書いた

ということは「何らかの文書であったと推測できる」ということだな?

その文書が「公」なのか「私」なのかと言えば当然「公」だろうね。
俺はそれを言ってるのだが。
その「公」とは当然王統に関わるものだと思うのだが。

18 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 10:37:49.48

>>17
というか、それなら硯で墨を磨って何を書いてたのか?という質問に戻るわけだが。
5世紀には倭王武の上表分のような優れた漢字文化があったが金石文は日本で出ない。
つまり出ないから「ない」とは言えない。

19 :日本@名無史さん:2016/11/19(土) 15:17:29.49

2世紀前半の三重の大城遺跡出土土器に書かれた文字は「奉」または「垂」らしい。
地方都市にまで難しい字が来ていた。
とはいえ、この字は首長のエンブレムのように使われたのかもしれない。
しかしそれであったとしても王統は伝達できる。

20 :日本@名無史さん:2016/11/20(日) 20:25:18.31

8世紀の神社の祭神の書き換えが
歴史学的には大ダメージだな。
ほとほとヤマト政権の捏造書き換え
焚書には悩まされる。
それがなくば明治以後の大暴走も
なかっただろう。

21 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 07:03:09.81

>>18
その質問の答えは >>15 に書いた

出ないから「ない」とは言えない。その通りだ。私も無いとは言っていない
ただ、なぜあると推測したのか、その根拠が聞きたかっただけだ
「ない」とは言えないから、あったに違いない、というだけのことなら、
あまり話を聞いても意味はなさそうだ

22 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 10:33:26.02

「日本に伝えた」とする朝鮮半島で山ほどの文字が出ていて、日本では出ていない
ならば、「なかった」ことでもいいが。
朝鮮半島のその時代の遺跡から文字が山のように出ている事実はあるのかな?

17 :日本@名無史さん:2016/11/18(金) 07:01:37.77

>>16
もし随筆だったら王統譜より興味深いが、残念ながらそれは無いだろう

王統について書き遺すようなレベルの文化であれば、当時なら金石文の形で
実現しようとするのではないか。弥生期にはそれを可能にする技術があった
のではないかと思うが、出土していないので、今のところ王統など無かったか、
興味が無かったのではないかと考える。反証などがあれば指摘して欲しい

24 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 22:48:34.26

三輪 氏   安曇氏  物部氏    三上氏   忌部氏    紀国造家   久米氏  大伴氏 中臣氏  皇室  

櫛御 方   穂己都久 宇摩志麻治 彦伊賀都   天富        天道根   大久米     道臣 天種子  1神武
健飯 勝   摩幣区利 彦湯支    天夷沙比止 彌麻爾支     伊麻枳利 布理祢     味日 宇佐津臣2綏靖3安寧
健甕 尻   意伎布根 意冨祢    川枯彦     和謌富奴     比古麻   味耳       稚日 御食津臣4懿徳
豊御 食主  小栲梨   出石心大臣 . 坂戸毘古   佐久耳       知名曽   五十真手   大日 伊賀津臣5孝昭6孝安
健飯 賀田巣麻曽杵   大綜麻杵   . 国忍富     阿加佐古   .久志多麻 久米大人  角日 梨津臣  7孝霊8孝元9開化
大 田々根子大栲成吹 伊香色男.  .大加賀美   玉久志古    大名草彦 押志岐毘古 豊日 神耳勝  10崇神
大御 食持  百足足尼 十市根    鳥鳴海    多良斯富   .宇遅比古 七拳脛    武日 大鹿島  11垂仁12景行
大友 主   勝海足尼 胆咋       八倉田    麻豆奴美足尼 等与美々 祢久良支   武以 臣狭山  13成務14仲哀
志多 留   大浜    .五十琴    室毘古    佐岐大人足尼 豊布流   伊与足尼  佐彦 雷大臣  15応神
石床      浜子    .伊呂弗    比賀多    多比古足尼   塩籠    加志古     山前 大小橋  16仁徳

25 :日本@名無史さん:2016/11/22(火) 02:28:30.50

>>23
文書というのは広義の意味で書いた
おそらく何らかの情報、文字を書いたのであって
お絵描きをしたのではなかろうという意味
名前を書いたのかもしれないし、随筆を書いたのかもしれない

公か私か、という点についてはあまり興味が無い
できれば >>6 の根拠を聞かせて欲しい
私はそう >>13 で書いたつもりなのだが、
質問に質問で返されたので、残念な思いをしている

26 :日本@名無史さん:2016/11/22(火) 08:20:08.80

>>25
>できれば>>6の根拠を聞かせて欲しい

>>6のどの部分の根拠?

27 :日本@名無史さん:2016/12/10(土) 04:22:55.06

あげ

28 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 08:33:34.53

ふつーに春分秋分で2才
古代中国人もギリシャ人もオリエント人もユダヤ人も異常に長寿
孔子の「50にして立つ」など平均寿命越えたじじいになってようやく立つとか
あり得ない
弟子の顔回も40と言う平均的な寿命で夭折とかも不審

29 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 09:15:12.85

30にして立つ
50にして天命を知る だぞ

30 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 12:43:14.46

すまんそうだったかw

しかし30でも同じだ。古代中国の平均寿命が35〜50と言われている
時代だからね。

33 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 08:01:15.00

崇神(4世紀初頭)





神武・ヒメタタライスズ(卑弥呼)(2世紀末〜3世紀初頭)




スサノオ=師升(2世紀初頭)

(・は一世代20年)

スサノオ=師升は生口160人を献じ、謁見を申し出たが朝貢に失敗しているようだ。
金印をもらえなかった。
この恥ずかしい過去を隠すにはヒメタタライスズ(卑弥呼)と神武の時代も隠さねばならない。
ここを基点にすればスサノオ=師升だと分ってしまう。
だから神功皇后を干支を120年ずらしてまで強引に卑弥呼の時代に持ってきて卑弥呼を隠した。

だから100歳超える天皇の記述になった。

そういう事だ。

36 :35:2016/12/17(土) 02:50:34.43

神武〜崇神の10人の天皇じゃなくて
綏靖〜開化の8人の天皇の在位年数の合計がそれぐらいってことね。

神武〜開化まで親子継承が順調だったら、日本書紀なら
神武・孝昭・孝安・孝霊から60年ずつ差し引いて
その他に二倍歴を適用すればだいたい210年ぐらいになるか。

42 :日本@名無史さん:2017/01/07(土) 18:19:52.56

16世代目 履中・反正・允恭(420〜430年頃生?)
17世代目 安康・雄略(455〜460年頃生?)
18世代目 清寧(?)・顕宗・仁賢(470年代生?)
19世代目 武烈(510年頃生?)・継体(485年頃生)
20世代目 安閑・宣化(501、502年頃生?)・欽明(525年頃生?)
21世代目 敏達(547年頃生?)・用明(549年頃生?)・推古(554年生)・崇峻(560年頃?)
22世代目 押坂彦大兄皇子(565〜570年頃生?)・厩戸皇子(574年生)
23世代目 舒明(593年生)
24世代目 皇極(斉明)・孝徳(601〜605年頃生?)・天智(626年)・天武(630年代生?)

46 :日本@名無史さん:2017/01/08(日) 20:06:08.57

300もいかんよ。
せいぜい75歳。

47 :日本@名無史さん:2017/01/08(日) 21:53:13.73

四倍暦か

49 :41-42:2017/01/09(月) 05:40:00.80

推古天皇・舒明天皇・天智天皇の誕生年は通説どおりとした。
雄略から欽明までの天皇は通説よりもかなり後に生れたに違いない。
敏達天皇とその曽孫の皇極・孝徳も通説より十年ほど
遅く生まれたのではなかろうか。皇極が天智を33歳で産むよりも20代で産む
ほうが現実味がある。天武を産んだとき30代の可能性はある。

系図の世代はあくまで男系中心に数えているので、実際には叔父と姪の
婚姻関係もあるから、男系では継体→欽明→敏達→押坂彦人大兄皇子→
舒明→天智→持統の7世代(1世代26.7年)でも数え方次第では、継体→
宣化→石姫皇女→敏達→押坂彦人大兄皇子→茅渟王→皇極→天智→持統
で9世代(1世代20年)となる。

52 :日本@名無史さん:2017/01/12(木) 22:06:52.57

ヒミコ≒大倭日女命(大女王を意味する/また、竹野(タカノ)媛命)(6世孫世代)は孝安天皇(当時は弱小領主程度)の義理の姉。
その子孫らがいわゆる和邇氏(和邇氏の祖の世代)。
トヨはヒミコの兄の孫世代。八世孫世代。天豊媛命。同じく大倭日女命。竹野媛命。
確か、、、開化天皇の后さま。

スサノオとは後の天皇(亀)が最大庇護を受け歴代姻戚関係をたやさなかった本宗の大王家と王族(浦島太郎)の概念上の存在。

時が満ち、いよいよ力を着けおとなしく偽装していた亀がガメラに豹変して浦島太郎らを撃滅
(崇神、垂仁)

決死八世代の真っ只中がヒミコら先天の王権の時代ゆえに後の天皇家や朝廷らが記述が憚られた

61 :日本@名無史さん:2017/01/19(木) 20:06:33.23

もしかしたら今上陛下は100歳どころか新和も含めた歴代天皇のうち最長寿になるかもしれない。

68 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 08:28:38.19

継体欽明紀の記載ミスを根拠にされてもねえ
邪馬台国以来倍暦だった根拠はないんかい

89 :YAP?:2017/01/24(火) 22:52:14.08

 ssn>倍暦の話になると私にはチンプンカンプンですが、

 倍暦についても、安本美典、古田武彦氏ら、諸説がありますが、私が最も納得できたのは、
貝田禎造氏『古代天皇長寿の謎』(六興出版:昭和60年12月発行)です。
と言っても、全部に納得したわけではありませんが、倍暦の存在を認めざるを得ないと思いました。。
日付の入っている記事で、16日以降というものがほとんど存在しない、という事実と、
夏であるはずの季節にしばしば、雪の記事があることなどです。

 しかし氏の年代観に完全に同意は出来ず、継体天皇の即位年から、逆算して、神武天皇即位年を出そうと試みましたが、
どうも成功していません。
 一応、貝田氏の著書から、巻末の天皇の没年を記載します。
神武天皇:AD195年没
綏靖天王:AD204年没
安然天皇:AD213年没
懿徳天皇;AD222年没
孝昭天皇:AD242年没
孝安天皇:AD267年没
孝霊天皇:AD286年没
孝元天皇:DAD301年没
開化天皇:AD316年没
崇神天皇:AD333年没

 私は欠史8代の前半の天皇の没年が詰まり過ぎているのが、気になります。特に神武と綏靖の年代差が10年に満たないというのは、
おかしいと感じています。神武は、AD107年前後には、成人していたと思います。

137 :日本@名無史さん:2017/02/06(月) 23:32:13.86

神武天皇以来の万世一系も皇紀も信じる右翼は涙目だなw

182 :日本@名無史さん:2017/03/17(金) 05:35:04.32

纏向って完全に新参勢力じゃんw
ワロタw

誰なんだろうね、この新参勢力は?ニヤニヤ

284 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 18:18:23.42

12 景行天皇 13 成務天皇 (日本武尊) 14 仲哀天皇 神功皇后 15 応神天皇 16 仁徳天皇

このあたりの事績と没年などの計算がどうにもあわないんだよな
おかげで平気で寿命が100年を超えてしまう
解決案としては、先代がお隠れしてから次代が即位するのではなくて、
ある程度の年月は親子で共同統治、二人天皇だったとしたほうが
計算が合うのかもしれない

317 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 10:07:24.42

442 :日本@名無史さん:2019/03/25(月) 21:57:17.31

そもそも奈良湖って縄文時代の話だろ
弥生古墳時代ならもと湖だったので地盤が緩いとかそういうレベルだろ

545 :日本@名無史さん:2019/04/27(土) 20:59:54.25

>>544=コピペしかできない白痴

695 :日本@名無史さん:2019/08/12(月) 10:12:45.06

神武を除いて歴代の天皇はスサノオこと帥升の女系子孫なんだろ?
帥升が日本に来た徐福一行の子孫なら、今の皇室に徐福の血が流れ
ててもおかしくないな

789 :日本@名無史さん:2019/09/03(火) 00:41:54.92

長年に渡って三跪九叩を強制させられてたという惨めな歴史がある朝鮮ヒトモドキが「倭は帥升の土下座外交から始まったニダ〜」って喜びたいだけ

879 :日本@名無史さん:2019/09/21(土) 18:47:19.15

>>878
だから後期のは叩いた痕跡も何もない。
その形状からつるし上げることが困難。

だから佐原真さんにいわせれば「見る銅鐸」「仰ぎ見る銅鐸」となる。

901 :日本@名無史さん:2019/10/29(火) 19:20:49

二倍年歴は倭人の歴なんだってさ
パラオの王なんかも140歳とかそんなんだってさ
天皇家と違うことがバレちゃうな

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